山上憶良(やまのうえのおくら): いざ子ども早く
去来子等 早日本邊 大伴乃 御津乃濱松 待戀奴良武
【通釈】さあ皆の者、早く日の本の大和の国へ帰ろう。難波の湊の浜松も我らの帰りを待ち焦がれていることだろう。
解釈: 場所(唐の国) とき(慶雲元年秋7月に帰京しているので、帰りの出帆近くではないか)
【語釈】◇大伴の御津 「大伴」は大伴氏のこと。かつて大伴氏が難波地方を管掌したゆえ、「大伴の」は「御津」を枕詞風に修飾する。「御津」は難波の港。遣唐使船の発着地。
【補記】憶良は大宝二年(702)から同四年(704)頃まで遣唐使として唐にいた。この頃憶良は四十代前半。 【語釈】【補記】の出典はここ
〇万葉集大15巻の前半には船、海、港が読み込まれた歌が多い。なぜなら遣新羅使人らの往復途上の作歌と旅中誦詠した古歌及び出発時・出先で贈られた歌を集めたものだからです。 15巻についてのHP→ 例①、例② ここでは山上憶良を真似た歌を紹介する。
筑紫に廻り来たり海路にて京(みやこ)に入らんとし播磨国の家島に至りし時に作る歌 出典はここ
遣新羅国使 ぬばたまの夜明かしも船は漕ぎ行かな御津の浜松待ち恋ひぬらむ (巻15−3721)
奴婆多麻能欲安可之母布祢波許藝由可奈美都能波麻末都麻知故非奴良武 出典はここ
解釈: 場所(播磨国の家島あたり) とき(遣新羅船にて帰京途中) 面白いHPを見つけました→潮待ちの港
【語釈】: ぬばたまの は 枕詞(まくらことば)。「黒」や「夜」、またその他の「黒」をイメージさせる言葉を導きます。「ぬばたま」はヒオウギの黒い実のことです。
遣新羅国使 : 大伴の 三津の泊りに 船泊てて 龍田の山を
いつか越え行かむ(巻15−3722)
大伴乃美津能等麻里尓布祢波弖〃多都多能山乎伊都可故延伊加武
【通釈】 大伴の 三津の泊まりに 船が到着して 龍田の山を早く越えて行きたい
【語釈】龍田山(たつたやま)は、現在の奈良県生駒郡三郷町(さんごうちょう)の龍田本宮(たつたほんぐう)の西、信貴山(しぎさん)の南にあたる山地とされています。龍田山(たつたやま)という名前は現在残っていません。 →出典はここ
”長門の造船歴史館”には古代の船(遣唐使船)が復元・展示されているとの報道があった。→ 中国新聞
実際にはどうだったであろうか。造船歴史館の説明を読んでいないので真偽のほどはわかりません。どなたかご覧になった方のご連絡をお願いします。
リンク 日本財団 海と船の博物館ネット 、 参考書: 古代史からみた万葉歌 岸俊男/著